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| これはインディアナ州のマークです。開拓当時の光景が描かれています。一人のきこりが木を切り倒している横で、その斧の音に驚いた水牛が走り去り、遠くの丘の向こうには太陽が輝いています。このマークは1801年から使われ、1963年に正式に州のマークとして定められました。 | インディアナ州の花はボタン。英語で"peony"と言います。ボタン科の落葉低木です。多数の園芸品種があり、花の色は白、淡紅、朱紅、紫、暗紫紅、黄色等で、半八重から万重咲き、獅子咲き、二段咲きなどがあります。1957年に州の花として定められました。 | インディアナ州の木はユリノキです。英語では"tulip tree"と言います。モクレン科の落葉高木です。葉が半天の形に似ています。初夏に大型の黄色い花が咲きます。1931年に州の木として定められました。 | これがインディアナ州の鳥、ショウジョウコウカンチョウ、英語で"cardinal"です。ホオジロ科の鳥で、雄は鮮紅色の冠羽を持ち、額からのどにかけては黒く前身赤色です。鳴き声がとても美しい鳥です。1933年に州の鳥として定められました。 |
インディアナの意味
インディアナはラテン語で“インディアンの土地”を意味します。18世紀から19世紀初めに東部の白人移民によってインディアン居住地域となった
Miami、Wyandot、Shawnee、Ottawa、Chippewa、Piankashaw、Wea、Kickapoo といった地域は全てインディアンの部族名からきたのです。インディアナはインディアンの土地でした。
Hoosierの意味
インディアナに生まれ育った人のニックネーム、それが“フージャー”です。何故そう呼ぶようになったかの理由については色々な説があって、インディアナの人の間でも正確には分かりません。開拓時代に道で出会った人同士が使った"Who's
there?" とか "Who are you?" という意味の "Who's 'yere!" という言葉が語源だという説、周りの人を黙らせるくらい強い男を意味する
"husher"という言葉からきたという説、そしてかなり有力な説としては、その昔、運河の建設に尽力した Sam Hoosier 氏の人望から、周囲の人々が彼と一緒に働くことを誇りに思って自分たちのことを
"Hoosier men" と呼ぶようになったことが理由だと言われています。
とにかく、インディアナは世界的に有名なフージャーを生み出してきました。例えばアブラハム・リンカーンは少年時代をインディアナで過ごしました。バスケットボールのヒーロー、ラリー・バード、そしてあのジェームス・ディーンもフージャーなのです。
“アメリカの十字路”の意味
インディアナは“アメリカの十字路”(Crossroads of America) と呼ばれています。この呼称は1937年にインディアナのモットーとして定められましたが、その理由は、当時インディアナはアメリカで最も人口が多かったことによります。現在でもこのモットーは変わっていません。インディアナはアメリカの他のどの州よりもハイウェーが集中して交差している州です。
インディアナ州の州旗の意味
1816年12月11日にインディアナは合衆国の19番目の州となりました。州の旗が制定されたのは1917年のことで、ブルーの背景に19個の金色の星が輝いています。中心のポーチは自由と啓発を表わしています。円の外側の13個の星は合衆国の最初の13州を、内側の5個の星はその次に加わった5州を表わし、そしてポーチのすぐ上に輝く一番大きな星がインディアナ州を表わしています。
リンカーン大統領とインディアナ州の関係
インディアナ州が合衆国に加わったのは、アブラハム・リンカーンの家族がケンタッキーを離れ、インディアナ州のGentryvilleエリアに移住してきた時でした。1816年、アブラハムが7歳のことです。それから2年後、彼の母親、ナンシーは授乳熱(milk
fever)で亡くなりました。それから1年後、父親のトーマスはケンタッキーに戻り、新しい妻、サラ・ブッシュ・ジョンソンと一緒に戻ってきました。そのサラは、体は丈夫なのに働くことを嫌がるアブラハムに本を与え、学習への意欲を与えたのです。彼は働くことよりも、読み、そして語ることに飢えていたのです。
リンカーンの卓越した演説は、彼の家の近くの学校で教鞭を取っていた教師、アゼル・ドルシーによって磨かれたものだと言われています。彼はこのインディアナを1830年に離れイリノイ州へと大統領への道程を歩いていったのです。
ジェームス・ディーンのお墓
50年代のアメリカ、いや世界を代表するアイドル、ジェームス・ディーンは1931年2月8日にインディアナ州マリオンで生まれました。今では彼の誕生した場所は駐車場にある小さな石碑で伺い知るだけです。彼は1936年までこの地で暮らしました。母親が亡くなってからはフェアモントの叔父と一緒に成長期の大半を過ごしたのです。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業した彼は、テレビコマーシャルに出るようになりますが、役者として開眼したのはニューヨークで撮影した2本の映画に出演してからです。ホモの売春斡旋人を演じたその映画、"Immoralist"
で、彼はトニー賞を1954年に受賞します。ハリウッドに渡って彼が最初に出演した映画が“エデンの東”で、これによってジェームス・ディーンは十代のアイドル、そして伝説の人への道を歩み始めたのです。“理由なき反抗”が封切られたのは、彼が自分の運転するスポーツカー事故で死亡した4日後でした。若き天才は1955年9月30日に24歳で他界したのです。その後、“ジャイアンツ”が公開となりました。そして彼の死後も多くのファンは彼を崇拝し続けたのです。事故現場は人で溢れ、多くのファンは彼の思い出を残すためにカルトを設立しました。今でもそのカルトは活動しています。彼の家族は遺体をインディアナに持ち帰り、フェアモントの公園墓地に埋葬しました。葬儀には約3千人が参列しました。彼の死後、10年経った時も、ワーナーブラザースに届いた彼へのファンレターは一日に7千通に達したのです。フェアモント町では、9月のフェアモント美術館記念日と併せて、"Remembering
James Dean" フェスティバルを開催しています。
インディアナにサンタクロース
人口僅か300人なのに年間約100万通の郵便が来る町がインディアナにあります。その町の名前はサンタクロース。最初はサンタフェという町名が候補に挙がったのですが他のインディアナの町の反対に会って挫折。その時ある人が冗談で言ったサンタクロースが本当に町名になってしまったのです。1930年代にはこの町でサンタクロース・カレッジがオープン。Santasというデパートのトレーニングのために開校されたこのカレッジの卒業生はサンタクロースの単位を取得できます。現在この町は180エーカーの広さを誇るアミューズメントパーク、ホリデーワールドのある町として知られています。1946年に開設されたこのパークは最初はサンタのカントリーという名前でした。サンタクロースの町では通りの名前や地名がクリスマスにちなんだものが多くあります。ラドルフ湖、スノーフレーク・ドライブイン、クリスマス・レーク・ビレッジなど。この町の新聞の名前は "Santa's Country" です。
インドリンゴの原産地がインディアナ
大きくて甘いインドリンゴ。このリンゴは名前がインドでも、インドが原産地ではありません。実はインディアナ州です。
日本で現在栽培されている果物の多くは、明治時代に外国から持ちこまれた品種がもとになっています。インドリンゴも例外ではありません。
アメリカの宣教師、ジョン・イングという人が故郷のインディアナから持ってきた種子が、そのルーツとなっています。そこで、このインディアナをリンゴの名に冠して「インドリンゴ」と呼ぶようになったのです。また、この宣教師イングの名がなまってインドとなったとも言われています。インドリンゴは、もとはアメリカといっても、栽培されているのは今は日本だけです。アメリカにはこれにあたる品種はありません。
